星野源が過去に病気になったパニック障害はデマなのか、またくも膜下出血の後遺症や再発についてまとめました。星野源は過去にはパニック障害も患っていたと言われているのですが、実はデマなのでは?と噂されています。そんな星野源は、くも膜下出血という病気を発症して復活し、現在マルチに大活躍されていますね。
目次
星野源はパニック障害の病気はデマではない?
星野源さんが2012年にくも膜下出血を患って活動を休止されていたことはよく知られていますが、実は過去に、パニック障害という精神的な病で苦しんでいたことをご自身が語られています。
これは、2014年2月に放送された「情熱大陸」の中で語られた事実なのです。
明るく陽気な歌を歌われることの多い星野源さんだからこそ、そのような病気を患っていたなんて信じがたいのですが、そういったことが星野源さんがパニック障害を患っていたのはデマなのでは?という噂が広がってしまったのかもしれません。
しかし、「情熱大陸」に出演された際には、星野源さんご自身がパニック障害を患った理由や経緯を語られていますので、これはデマなのではなく、本当のことなのです。
星野源がパニック障害になったのはなぜ?
星野源さんがパニック障害になったのは、小学生の頃の出来事が発端になったようです。
ある日、体育の授業中に、星野源さんがおもらしをしてしまったのだそうです。
その時、先生はクラスメイトが見ている中、星野源さんのズボンを脱がせ、身体を洗い流したそうです。
そのことがきっかけとなり、星野源さんは周囲からいじめを受けるようになってしまい、心に傷を負ってしまったのです。
こうした幼少期のトラウマが、その後また同様のことが起こるかもしれないと思うことによってパニック障害の発作を起こすことになり、学校や外出が怖くなったそうです。
星野源さんはこうした思いを抱えながら精神安定剤を服用しつつ、なんとか中学、高校を卒業されました。しかし、この頃の精神状態はボロボロだったそうです。
大人にとって些細な出来事であっても、子供にとっては人生を左右するほどの大きなことになってしまうということを、大人は理解していなければなりませんね。
星野源はパニック障害を克服できた?
外出することが怖く、何か分からないけれど不安な思いしながら日々を過ごしていた星野源さんですが、そんな日々を救ったのはある歌だそうです。
それは、植木等さんが作曲したクレイジーキャッツの歌「だまって俺についてこい」です。
「仕事のないやつぁ俺んとこへこい 俺もないけど心配すんな みろよ燃えているあかね雲 そのうちなんとかなるだろう わかっとるね わかっとる わかっとる わかったらだまって俺について来い」
この歌の「そのうちなんとかなるだろう」というフレーズが、星野源さんにとっての精神安定剤となったようです。
星野源もなったパニック障害とは?
星野源さんが患ったパニック障害という病気は、突然激しい動悸や発汗、ふるえやめまい、脈が異常に多くなるなど、体に異常をきたす病気で、さらには、このまま死んでしまうのではないかという強い不安感に襲われるそうです。
突然起こる発作的な病気であるため、医師の診断を受けることが非常に難しく、パニック障害であることの明確な指標もないことから、その判断は本人や医師による判断がさまざまであるとも言われています。
星野源は過去にくも膜下出血を発症してた?
2012年12月16日、星野源さんは後頭部に重い痛みを感じながらも、解熱剤と湿布で何とかごまかしながら、新曲のレコーディングを行っていたそうです。
録り終えて完成した直後、強烈な頭痛に襲われ、救急搬送されて緊急手術を受けることになりました。病状はかなり深刻な状態だったようで、担当の医師からも後遺症の可能性や全快はかなり難しいと診断されたほどだったようです。
しかし、手術は成功し術後も良好で、翌年の2月には仕事復帰されました。
ところが、約4か月後に受けた定期検査で、手術した箇所が万全でないことが分かり、再手術を受けることになり、二度目の活動休止を余儀なくされました。
2014年2月、完全復帰を果たされましたが、現在でも再発や後遺症が心配されています。
星野源の今後のくも膜下出血の後遺症や再発は?
くも膜下出血とは、何らかの理由で脳の血管がコブ状に変化し、それが破裂してしまう病気です。致死率はなんと70%と非常に高く、前兆もほとんどないという恐ろしい病気です。
仮に一命をとりとめたとしても、重い後遺症が残る人が多く、全快できる人はわずか10%未満、社会復帰できる人はわずか30%なのだそうです。
星野源さんの病状はかなり深刻な状態だったようですので、全快したとはいえ、ギターを弾いたり歌を歌ったりすることに今後影響はないのでしょうか?
レギュラー出演していたラジオ番組では、音楽活動に影響が出るような問題はないように発言されています。しかし、くも膜下出血は再発率も非常に高い病気です。
現在は全快されているかもしれませんが、常に再発の可能性を抱えている状態なのです。
星野源のプロフィール
星野源さんは、埼玉県蕨市出身、1981年1月28日生まれです。
シンガーソングライターであり、俳優であり、エッセイストであり、コラムニストでもある、マルチな才能の持ち主です。
星野源さんのご実家は八百屋さんで、その後ジャズバーを経営されていましたが、2016年10月22日には閉店されたそうです。
2000年10月、高校の同級生たちととともに、インストゥルメンタルバン「SAKEROCK」を結成し、2015年6月2日に解散するまで、リーダーとして主にギターとマリンバを担当していました。
2003年、舞台「ニンゲン御破算」への参加を機に、俳優として活動を開始し、2007年には、「テレビブロス」9月1日号から、「細野晴臣と星野源の地平線の相談」の連載を開始し、文筆家としても活動も始めました。
2010年には、細野晴臣氏のすすめでソロデビューを果たし、ファーストアルバム「ばかのうた」を発表すると、第3回CDショップ大賞に入選されました。
2011年10月には、セカンドアルバム「エピソード」を発表すると、オリコン・ウィークリーチャートで5位を獲得し、第4回CDショップ大賞では準大賞を受賞しました。
2012年12月22日、くも膜下出血と診断されて活動を休止し、2013年2月28日のJ-WAVE「TOKYO HOT 100 CHART OF THE YEAR」授賞式で仕事復帰しました。
しかし、同年6月ごろに行った定期検査で、経過観察と新たな措置が必要であるとの診断を受け、再度活動を休止することになりました。
そのため、開催予定だったライブなどの中止・延期が決まり、星野源さんがパーソナリティを務めていた「星野源のラディカルアワー」は、6月28日で番組が終了しました。
9月26日、再手術が成功して退院されたことを発表し、再び活動を開始されています。
再手術・療養などを経て主演した映画「箱入り息子の恋」や「地獄でなぜ悪い」では、その演技力が高い評価を受けました。
また、アニメ映画の声優や映画音楽の製作なども精力的に行い、第5回TAMA映画賞、第37回日本アカデミー賞、毎日映画コンクールなどの新人俳優賞を受賞されています。
2016年にラジオ番組「星野源のオールナイトニッポン」のレギュラー放送が開始され、翌年に50周年を迎える番組の記念シングル制作を担当されました。
テレビドラマでは、フジテレビ「東京タワー ?オカンとボクと、時々、オトン?」、NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」などの話題作に多数出演されています。
2015年に出演したTBS「コウノドリ」や2016年出演のNHK大河ドラマ「真田丸」では重要な役を演じ、2016年TBS「逃げるは恥だが役に立つ」では、新垣結衣さんとともに主演を務めた他、星野源さんが歌った主題歌「恋」のダンスが多くの人から支持され、社会現象を巻き起こしました。
星野源の病気はパニック障害はデマまとめ
星野源さんが過去にパニック障害を患っていたというのはデマではなく真実のようです。
その後も、くも膜下出血による闘病など大変な時期もありましたが、今では音楽にドラマに執筆にと、マルチに大活躍されています。
パニック障害でも苦しんでいたという意外な過去を持つ星野源さんですが、そういった辛い時期があったからこそ、現在の素晴らしい作品につながっているのかもしれません。